私は最近になって非言語を言語化する能力を高めることに意識をしています。
非言語とは、例えば音楽を聴いたとき、芸術に受ける情動(恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの感情で、急激で一時的なもの。情緒と同義。)や抽象的なことです。
自分の思いをしっかり言葉に表すことでその思考は現実化に向かうわけで、頭の中でぼんやりと思ってることなどは現実化に脳が向かないはずです。
自分の思いや、心で感じてることは正に非言語な情報ですが、その情報をしっかりと言語化するには、自在に使えるボギャブラリーの数やその非言語情報と常に向き合ってるかで能力差が生まれてしまいます。 音楽を聴きどう感じたのか、可愛い動物を見てどう思ったのかなど自分がその局面局面でどう感じ、どう思ったのかを言葉で表す訓練をすることで思考の言語化の訓練につながります。
上に書いたように自分の思いを言語化することでその思いは現実化に近づきます。
自分の思いを表現する職業といえばプロのアーティストですが、アーティストの喋りは総じて面白いらしく、なぜか?と想像してみると、やはり常日頃、自分の思いを表現するためにはどうしたらいいかを考えてきたからだと思います。そしてその表現するために必要な言葉をよく知ってます。 そう考えるとやはり自分の思い、考え、夢をちゃんと言葉に落とし込んでいく作業は人生をよりよくしていくためのキーポイントになりそうです。
『思考は言語化する』はかなり有名な本ですが、この本でも自分の考え、思いをしっかり言葉にしていくことを強く勧めています。
成功者は必ず、自分の願望を紙に書き出して、声に出しているそうです。自分の意識がそちらへはっきりと方向付けされ、行動も変わってきます。よく「言霊」といいますが、まさにそれです。
また重要なのは、マスターマインドであるとも語っています。
マスターマインドとは、2人以上の何らかの願望や目標を持った人間の集まりのこと。また、その人々の間で行き交う、波長の合う思考だそうです。つまり、マスターマインドという「仲間」がいれば、自分の能力や個々の能力を、単純に足し算ではなく、掛け算のように使えるということになります。
明確なビジョンがあり、仲間がいれば会社が成長するのと同じで、目標達成のためのマスターマインドは、成功を実現させるスピードを、さらに速める一手になります。
『思考は現実化する』の内容をまとめると、やはり自分が思っている「無意識」を変えるために行動することが重要ということ。
意識と行動はセットです。行動することで、意識は変わっていきます。その意識も、また変わっていき、そこからさらに行動も変わっていくのです。自分の潜在意識を変えて成功へ近づくためにも、まずは明確な目標を定め、計画を立て、行動していくのが重要になってきます。そしてそれら全て言語化能力で良し悪しが決まってしまいます。 また冒頭の話に戻りますが、言語化する能力を高めることで自分の意見を持つことにも繋がります。自分の意見を持つことは世界基準であり、世界的に見て自分の考え、意見を持たない人はアウトです。相手にされません。
自分はこう思う。でもあなたはそう思う。 でもそれでいいとなるので構わないのです。
「それはAさんの意見で、私の意見ではない」
「この人は、こういう考えの人なんだ。私の考えと合わないな〜」で終わりです。
日本人は日本社会に存在する同調圧力のせいか、自分の意見を持たない、もしくは自分の意見を表現しない人が多いように思います。そこは僕も気をつけていることで、自分の意見を持たない、表現しないことが常態化してしまうと、自分の頭で考える思考力が養われず、他者ひいては世俗に振り回される生き方になってしまいかねません。
自分と他者との線引きをしっかりとしていくことはメンタルにも効果的です。
ひろゆき氏はこう言ってます。
「見下す」というのは、表現を変えれば「人間観察モード」とも言えます。自分と相手との間にはっきりと線引きをすると、相手に危害を加えられた時に生じるイヤな感情に振り回されることもなくなります。
以前、編集者で有名な箕輪厚介氏が言語化について言及してた中で言ってたのが、
最近の人はあまりにも自分の思考を言語化する習慣がないから愕然とするっていうか。能力以前に自分のやりたいこととか、自分が何者かとかを言語化できないと頑張りようがないというか。
以外引用
ー病気とは、自分が外に向かって言葉で表現できていないことや、自分の基準に合った生き方ができていないことが、さまざまな症状となって現れたものなのだろう、とつくづく感じます。 逆の見方をすると、病気になったということは、親やパートナー、子ども、友達、会社、世間、そして自分自身に、「言っていないことがある」「自分の基準を表に出せずに、我慢していることがある。あきらめていることがある」ということです。
「人は口で言えばすむことを、体で表現するんです」。
私の職場仲間一人を例に取ると、腰のヘルニアが持病の彼は仕事が遅く常にヘルニアを言い訳にし続けてきましたが、いざ長期休暇に入ると腰が痛いのが収まり職場にいる時より元気に活動できてます。推測するに、ホントは仕事が能力的に出来ないのにそれを抑圧して言葉にしなかったために、体で仕事が出来ない自分を作り上げてしまったのが不幸の始まりだったと思います。
思うに日本人は日本語でしっかり自分の気持ちを表現することを避けてきたんじゃないかと思うんです。上下関係からくる圧力や他者との関係を崩したくないためだったり、または日本語より英語だよね!という若者が増えて日本語も英語も中途半端になってしまい、自分の思いをきめ細かく言葉にできない人が多い社会になってきてると思います。
なによりも自分への課題として、言葉のレパートリーを増やすのと同時に非言語情報(まだ誰も言語化してない。自分が感じたことを言語化することが肝)の言語化をする習慣をつけていこうと思います。いつになく長々と書いてしまいましたね。